多くを語らない人の、たしかなやさしさ ― 映画『枯れ葉』

多くを語らない人の、たしかなやさしさ ― 映画『枯れ葉』

ヘルシンキ。寒そうな街。

男と女が出会う。多くは語らない。カラオケバー、工場、スーパーの棚。生活はうまくいっていないし、運も悪い。それでも二人は、ぽつりぽつりと近づいていく。

この映画には、感動的な音楽の高鳴りも、泣かせにくる長いセリフもありません。登場人物たちは、びっくりするほど無表情で、最小限の言葉しか口にしない。なのに、なぜか胸が温かくなる。やさしさは、たくさんの言葉でできているわけじゃない、と教えてくれるみたいに。

ぶっきらぼうに差し出される一皿。ただ隣に座るということ。名前を聞く、それだけのこと。派手な愛の言葉より、その不器用な仕草のほうが、ずっと信じられる気がしました。

多くを語らないことは、冷たさじゃない。語らなくても伝わるものを、信じているということ。自分の気持ちを、大げさに飾らなくていい。静かなまま、正直でいていい。

やさしさは、言葉の多さじゃない。——そのことだけ、静かに持って帰れる映画でした。





言葉のいらない夜のそばに、friendly bear の一台を。「だいじょうぶ、ここにいるよ」――黒い熊が、何も言わずに、ただそばに座っている。 → このケースを見る