「これでいいや」と、口に出した日のことを、覚えていますか。
選ぶ時間が惜しくて、目についた一番無難なものをカゴに入れる。家に帰って、袋から出して、机に置く。悪くはない。ちゃんと役に立つ。ただ、何度見ても、目が止まらない。
そういう買い物を、何度もしてきた気がします。仕事に追われている時期。誰かのために選ばなきゃいけない日々。「自分のため」を、いつも後回しにしてきた季節。
それは、悪いことじゃないと思うのです。「これでいい」も、ちゃんと選択のひとつ。生きていれば、そう選ぶしかない時もある。決められる範囲で決めて、前に進むしかない日々が、たしかにある。
ただ。
「これでいい」もいいけれど、「これがいい」と言える毎日が、たしかにある。
「これがいい」と「これでいいや」のあいだには、ほんの少しの差しかありません。
選ぶ時に、もう一拍だけ呼吸する。本当に、これか。視界に入るたび、自分が選んだと思えるか。手に取るたび、ふっと肩が下りるか。
その「一拍」を、いつもは飛ばしてしまう。誰のせいでもなく、暮らしの忙しさのなかで、自然と省かれていく。
でも、その一拍を取り戻すと、不思議なことが起きます。
買い物の量が減る。なのに、家の中の「目が止まるもの」が増える。手にする回数が増える。たまに眺めるだけで、なんとなく安心する。そういう景色が、ゆっくり積み上がっていく。
派手でなくていい。声を張らなくていい。誰かに見せるためでも、誰かに褒められるためでもない。ただ、自分の感覚で「これがいい」と思えるものを、自分のために選ぶ。それだけのこと。
それだけのことが、毎日を少しずつ変えていきます。
毎日何十回も手に取るスマホは、その「一拍」を、もっとも身近な場所に呼び戻してくれます。
朝、目覚ましを止めるとき。 カフェで席に座ったとき。 電車で時間を確かめるとき。 夜、誰かにおやすみと送るとき。
その手のひらの中に、自分の感覚で選んだ色がある。自分が「これがいい」と思ったアートがある。
そのたびに、ほんの少しだけ、自分に戻れる気がする。
「うん、これでいい」じゃなくて、「これがいい」。 他の誰かの正解じゃなくて、自分の感覚に、正直に。
一日に何十回も手に触れるものが、自分の感覚で選んだものであること。その意味は、思っているより大きい気がします。
このメディアでは、これから少しずつ、いろんな人の話を集めていきます。
派手な選択をしている人ではありません。声を張って何かを主張している人でもありません。ただ、自分の感覚で「これがいい」と思えるものを、ひとつずつ選び直してきた人たち。
その人たちの暮らし方、選び方、そこに至るまでの少しの変遷を、なるべくそのままの言葉で記録していこうと思います。
「これでいい」もいいけれど、「これがいい」と言える毎日を、そっと集めるメディアです。
「これでいい」もいいけれど。 「これがいい」と言える毎日を、ここから。
— MAL. people