何でもない一日を、書きとめる人 ― 武田百合子『富士日記』

何でもない一日を、書きとめる人 ― 武田百合子『富士日記』

夜の九時半。洗いものを終えて、ソファに腰を下ろす。テレビをつけるでもなく、スマホを手に取るでもなく、ただ、ふうっと息をつく。そのときに、ときどき思うことがあります。——今日って、何だったんだろう。

特別なことは、何もなかった。会社へ行って、帰ってきて、ごはんをつくって食べた。それだけ。でも、ほんとうに「それだけ」だったんだっけ。何もなかった一日に、ほんとうに、何もなかったんだろうか。

そんな夜に、そっと手を伸ばすのが、武田百合子さんの『富士日記』です。富士山のふもとの山荘で過ごした日々を、十数年にわたって書きとめた日記。……と言うと立派に聞こえますが、中身は驚くほど何でもない。今日の天気。食べたもの。飼っている犬のこと。買い出しでいくら使ったか。それが、淡々と続いていく。

本屋さんの「名作」の棚で、いちばん目立つ本ではないと思います。もっと派手な、もっと泣ける、もっと「ためになる」本はいくらでもある。それでもわたしは、たくさんの“ちゃんとした本”より、この一冊に何度も戻ってきてしまうのです。

ページをめくっていると、彼女が世界をどんなふうに見ていたかが、少しずつ伝わってきます。同じ卵焼きでも、その日のそれを、その日の言葉で書く。きのうと同じ献立でも、けっして「きのうと同じ」とは書かない。晴れた日も、雨で何もできなかった日も、おなじ熱量で見ている。「いいことを書こう」という力みが、まるでない。ただ「自分が、そう感じた」というだけの理由で、書きとめていく。

読み終えるころには、不思議と、自分の一日まで少し違って見えてきます。何でもないと思っていた今日の中に、ほんとうは、書きとめておきたい一瞬が、いくつもあったんじゃないか、と。

それはたぶん、自分の感覚に正直でいる、ということなんだと思います。今日はいい一日だった「ことにする」のでも、何もなかった「ことにする」のでもなく、感じたままを、感じたまま、そこに置いておく。「これでいい」と流せてしまう一日を、「これがいい」と書きとめる。

何でもない一日を、何でもないまま大切にしたくなる夜に。肩の力を抜いて、自分の感覚にそっと正直になりたいときに。『富士日記』は、そんな夜の手元に、よく似合う一冊です。

この夜、本のとなりにあったのは、Nordic Haze の一台。静けさのなかで、自分に戻るための、手のなかの余白です。→ このケースを見る