ミラノの裏通りに、小さな本屋があった。コルシア・デイ・セルヴィ書店。人が集まっては議論し、笑い、安い赤ワインを飲み、また散っていく。半世紀以上前のイタリアの、もう存在しないその場所のことを、須賀敦子さんは静かな日本語で書き残しました。
読みはじめてすぐ気づくのは、この人は「楽しかった思い出」を書いているのではない、ということ。集まった仲間の多くは、もうこの世にいません。理想を語り合った場所も、やがて壊れ、散り散りになっていく。彼女の文章は、その喪失を大げさに嘆くことをしない。ただ、ひとりひとりの口ぐせや、ある日の食卓や、別れぎわの表情を、驚くほど丁寧に、淡々と書きとめていく。
不思議なのは、読み終えたあとに残るのが、悲しさではなく、温かさのほうだということです。失われたからこそ、その人たちが確かにそこにいた時間が、いっそう鮮やかに立ちあがる。彼女は、忘れないために書いたのではなく、ちゃんと手放すために書いたのかもしれない——そんなことを思いました。自分が大切にした時間を、自分の言葉で、自分のために残しておくこと。それはきっと、誰に見せるためでもない、自分の感覚に正直な行為です。
会えなくなった人のことを、あなたは最近、思い出しましたか。あの裏通りの本屋に集った人たちのように——いつか手放すために、いまの時間を、自分の言葉で書きとめておくのもいいのかもしれません。

読み返したい夜のそばに、Under the Orange Sun。「何も語らなくても伝わる、その静けさの中の真実」――黒い猫が、オレンジの光のそばに座っている。→ このケースを見る